クリスチャンになるには?
きみは、たったひとつの大切なレースを走っている――そう、人生というレースだ。
このレースのルールは神のことば、つまり聖書の中にある。
どんなレースにもスタート地点がある。これはきみのものだ。
きみを天国へと導くレースを、今こそ始めよう。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3章16節)。
神は、ご自分の御子イエスが、きみに代わって罪の罰を受けることをお許しになった。そうするために、イエスは十字架の上で死んでくださった。「神は、私たちに対するご自分の愛をお示しになった。私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったのである」(ローマ5章8節)。※バージョン不明、訳者私訳(God showed His love for us. While we were still sinners, Christ died for us.” Romans 5:8)
きみはこう尋ねるだろう、「それがぼくと何の関係があるんだ?」 ぼくたちはみな、悪いことをしたり、言ったり、考えたりしたことがある。これは罪であって、罪はぼくたちを神から引き離す。ローマ6章23節に書いてある、「あなたは、あなたが罪を犯すときに自分のところにやって来るものを得る。罪に対する罰は永遠に続く死である。」※バージョン不明、訳者私訳(You get what is coming to you when you sin. The punishment for sin is death for eternity) でも神はきみのことを愛していて、きみが永遠にご自分とともにいることを望んでおられるんだ。
イエスはご自分が埋葬されたところからよみがえり、今は天において神であるご自分の父とともにいらっしゃる。この方は、きみに永遠のいのちというギフトを授けてくださる。きみはそれを受け取るだろうか?
どうしたらこのギフトを受け取れるのだろう? 神が存在すると信じ、神はご自分がおっしゃったことを必ず成し遂げると信じるんだ。イエスがきみの罪に対する罰を引き受けてくださったと信じるんだ。自分の罪を反省して、きみの人生を神に明け渡そう。
どんなレースにもフィニッシュラインがある。人生のレースでは、「すべての人間には、一度死ぬことが定まっている。そののち、彼らは神の前に立ち、審判を受ける」(ヘブル9章27節)。※バージョン不明、訳者私訳(It is in the plan that all men die once. After that, they will stand before God and be judged)
この審判とは何だろう? それは神がきみにこうお尋ねになるときのことだ、「わたしがあなたに授けた、永遠のいのちをどうしましたか?」
エリック・リデルのように、みなと同じように、きみは、受け入れられることを、平和を、永続を、心から求めている。きみが神のギフトである赦しを受け入れるとき、このすべてが自分のものになるだろう。
受け入れられる: きみは神の家族の中へと受け入れられる。「聖霊によって導かれる人はみな、神の子どもです。…そして私たちは神を『わが父』と呼ぶことができるのです」(ローマ8章14,15節)。※バージョン不明、訳者私訳(All those who are led by the Holy Spirit are sons of God…and we can call Him, ‘My Father’)
平和: イエスはおっしゃった、「わたしの平和をあなたがたに与えます。心を騒がせたり、怖がったりしてはいけません」(ヨハネ14章27節)。※バージョン不明、訳者私訳(My peace I give to you. Do not let your heart be troubled or afraid.”
永続: イエスはおっしゃった、「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる※新共同訳より」(ヨハネ14章19節)。「御子に信頼する人は、永遠に続くいのちを持つ」(ヨハネ3章36節)。※バージョン不明、訳者私訳(He who puts his trust in the Son has life that lasts forever)
イエスはおっしゃった、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、誰も父のみもとに行くことはできません」(ヨハネ14章6節)。
神はおっしゃる、「わたしは、わたしがあなたがたのために立てた計画を知っている。それは悩みのためではなく幸福のための計画であって、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。わたしを呼べ。わたしのもとに来て祈れ。そうすれば、わたしは聞こう。あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるとき、わたしを捜して見つけるだろう」(エレミヤ29章11-13節)。※バージョン不明、訳者私訳(I know the plans I have for you, plans for well-being and not for trouble, to give you a future and a hope. Call upon me and come and pray to Me, and I will listen to you. You will look for Me and find Me, when you look for Me with all your heart)
神に自分のことばで祈ってもいい。あるいは、次のように祈ってもいい。
「神さま、ぼくはあなたが存在していること、またぼくを愛してくださっていることを知っています。あなたはご自分の御子を、ぼくに代わって死ぬために、与えてくださいました。ぼくは自分が罪を犯してきたことを知っています。自分のさまざまな罪をあなたに告白します。あなたの赦しを求めます。イエスが十字架で『父よ、彼らをお赦しください』と言ったとき、あなたの赦しを差し出してくださったからです。イエスがあなたの御子であると、また彼がぼくの罪のために死んでくださったと確信します。彼がさらに墓からよみがえられたこと、そして今生きておられることを信じます。自分の心をイエスに開きます。イエスさま、この心の中に来てください。あなたを信じるすべての人に約束されている、永遠のいのちをぼくにもください。イエスの名によって求めます。ぼくを赦してくださり、ありがとうございます。この心の中に来てくださり、ありがとうございます。永遠のいのちをくださり、ありがとうございます。あなたが勝者の輪と永遠のいのちへ迎え入れてくださるフィニッシュラインにたどり着くまで、ぼくがクリスチャンのレースを走り通せるように助けてください。アーメン。」
未解決の疑問はあるだろうか? 聖書を手に入れよう。ヨハネの福音書を読み始めよう。祈ろう、「神さま、あなたがどのような方か、ぼくに示してください。」 神は必ず答えてくださる。キリストのうちにある新しい人生をさらに学ぶために、引き続きこのウェブサイトにある「イエスのために生き始めるには?」を訪れよう!
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